「和真くーん。夕焼けがきれいだよ」
思わず和真を呼ぶと、ムッとした顔のままの和真が、寝室のベランダに降りて来た。
まだ機嫌が直ってないのかしら。
あたしの隣で、和真は無言で町を見下ろしている。
「どうしたの?」
機嫌の悪そうな和真の前髪を指で梳くと「拒否られた」などと不貞腐れた声。
「もー。そんな事で機嫌悪くしないの」
「そんな事なんて軽くあしらわれるのは心外なんだけど」
低い声で言い返す和真は、今度、じっとあたしを見つめている。
「今日、学校で由梨絵さんと歩いてる間中、ずっと由梨絵さんが欲しかったのに。
 黒沢さんや理奈と食事し終わって、駅から歩いて来る間だってずっと。
 僕が由梨絵さんを愛してるって、由梨絵さんに教えたいのに。
 拒否られた」
最後の『拒否られた』の拗ね方があまりにもかわいかったので、和真の前髪を梳く指先でくしゃくしゃと頭を撫でた。
「子供扱いばっかり」
直後、和真はあたしを思う様抱き締めてきた。
しなる若々しい腕があたしを締め付ける。
「痛いよ、和真くん」
思わず抵抗すると、和真は更に力を込めた。
「っあ…」
「愛してるよ」
苦しい吐息を吐き出すようにそう言うと、和真はとても深いキスをしてきた。
和真の舌先が、あたしの魂を優しく愛撫するかのような。
深いのに静かなキスは、今までのあたしが知っているどのキスよりも真摯に感じた。
あたしは知らずに和真の首に腕を回して、いつの間にか爪先立って和真のキスを求めていた。
「言ったでしょ? 今日初めて、僕は由梨絵さんの彼氏になれた気がするって。
 それなのに、由梨絵さんは僕を拒否ったんだ。
 うるさいハエでも追い払うみたいに」
唇の離れた瞬間に、和真は恨めしそうにそう言った。
「和真くん…」
「僕が由梨絵さんを好きなのより、きっと由梨絵さんは僕のことなんか好きじゃないんだ。
 僕だけが由梨絵さんを好きで、由梨絵さんにとって僕は…」
その先を言うのを、和真は一瞬ためらった。
それでも苦しそうに唇をわななかせながら「都合のいい、お父さんの代わりでしかないんでしょ」と、言い捨てた。
「そんな事無いわ」
「そう言うよね。当然」
和真はうっすらと微笑みを浮かべて「そうだなんて言えないもん。本人に」などと呟いて、あたしの体を開放した。
「和真くん」
「それでも僕は、由梨絵さんが好きだよ。
 嫌われるのが怖いから、これ以上は無理やり由梨絵さんに迫ったりしないよ」
言いながら、あたしの背中に指を回して、先ほど外したホックを留め直した。
「どうしてそうやって拗ねたことばかり言うの?」
「拒否られたから」
そう一言言うと、寝室の中に入って行く。
「和真くんっ」
背中に声をかけて、あたしも慌てて寝室に入った。
和真はかすかに振り向いて、それでも尚、足を止めなかった。
そんなに傷付いちゃったの?
でも、確かに今日の帰りの和真は、とても幸せそうにあたしの肩を抱いていた。
『僕、今日やっと由梨絵さんの彼氏になれた気がする』
そう静かに呟いた和真は、とても穏やかに見えた。
そうした幸福感があたしへの欲情に結びついたとしても、和真の年代だったらおかしくないのかもしれない。
それをあたしが共有できなかったら、それは愛情の不足だと映るのかもしれない。

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