「やっぱ先輩、絵の感想が鋭いですね」
和真も感心した雰囲気で、自分の作品から目を離さずにぼそり、とそんな事を言った。
「え? そうかな。
 描いた本人にそう言ってもらえると、ちょっと自信がわいちゃうね」
小宮山先輩は嬉しそうに和真を見返してから「あたし、これから勉強して、美術書の編集をやりたいんです」などとあたしに打ち明ける。
「編集?」
「はい。自分の作品は、きっとプロとしてやっていけるだけの魅力は無いから。
 でも、絵を見るのは好きだし、美術に関する仕事をずっとしていきたいって思ってて。
 美大に進むのも、美術についての勉強をじっくりしてみたいからで、あたしが作品を残したいからじゃないんです」
少しはにかみながら話す小宮山先輩に「うん、いいと思いますよ」と、小さく同意。
「作評にもセンスは大事だし、何よりも感性が無ければ的外れな評価をくだしちゃう。
 小宮山先輩には、いいセンスがあると思う」
「僕もそう思う」
二人揃って力説すると「ありがとうございます」と、小宮山先輩は嬉しそうに頭を下げた。
「あ、あたし、そろそろ行かなくちゃ。
 先生、どうぞごゆっくり」
慌しく腕時計を見下ろした小宮山先輩は、ぴょこん、と頭を下げて美術室を出て行った。
「不思議の国のアリスの、ウサギみたい」
思わず呟くと「忙しいからね。先輩は」などと、和真も同意している。
午後の光の中、他に誰も居ない美術室で、和真の絵の前に取り残されたみたいなあたしたち。
突然。
背後から抱き締められて、和真の吐息を耳元に受けた。
「ありがと」
囁く和真に顔を向けると「僕を見つけてくれて」と、真顔で続けた。
「和真くん…」
「迷ってる由梨絵さんを見つけたのは、僕だよ」
静かに言われて、あたしは和真のきれいな顔を見つめ返す。
あたしたちは和真の絵の前で見詰め合ったまま、お互いに見つけ出した相手の頬に指を伸ばした。
油絵の具の匂い…
たとえ何百年経っても、この匂いは不変だろうと思われた。
唇に触れた感触は、キヨヒコのものとも、和真のものとも、特定することは難しかった。
それでもなお、あたしはこの温もりが愛しかったし、相手の愛情を感じることができたと思う。
そう、信じたかった。
瞳をあけると、目の前には先ほどの和真。
あたしを夢見るように見つめる、熱っぽい視線。
「僕が見つけたんだから」
和真の指先が、あたしの耳にかかる髪を梳く。
「誰にも渡さないよ。
 たとえ、お父さんにだって」
そう言い放って、あたしの頭をぐっと抱き寄せた。
「キヨヒコと張り合うの?」
和真の唇に触れるか触れないかの距離であたしの唇を動かして、和真の視線に問う。
和真はこくり、と固唾を飲み込んでから「お父さんにも、黒沢さんにも」と答えて、もう一度あたしに口付ける。
高校の制服が、ごわごわと手のひらの下に硬かった。
抱き締められた胸が、あたしの手のひらの下で熱く疼く。
瞳を閉じて、和真のキスを受ける間。
あたしは油絵の具の匂いの中で、一心に和真のキスを確認していた。

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