「うひゃー。寒い」 乾燥した冷たい空気は、ピンと弦を張った楽器が澄んだ音色を奏でるように、清々しいと言えば清々しいんだけど。 あたしは暑さにも寒さにも弱いのよね。 かごに入った洗濯物を、はぁ、と指先に息を吹きかけてから一つつまみ上げる。 和真は今日、全国模試を受けるために近くの大学に出かけて行った。 来年になったら、本格的に受験生だもんね。 黒沢の特訓のおかげで、試験対策も着々と進めているようだ。 まぁ、実際のところ受験のことなんか、あたしはこれっぽっちも心配していないんだけど。 「和真くん、あったかくして出かけたかなぁ…」 あたしは和真の体調の方が心配。 あたしが起きたときには、和真はもう出かけた後だったのよね。 どんな格好で出かけたのか確認していないから。 風邪なんてひいちゃったら可哀想だもの。 洗濯物を干し終わって、暖房の効いた部屋に逃げ帰る。 今日は寒いから、シチューにしようかな。 キッチンに入ってシチューの用意。 子供のころ、空気が冷たくなってくると母がストーブを物置から取り出して、その上でポトフやシチューを作ってくれたっけ。 あたしはそんなことを思い出しながら、大きめに切った野菜を大きな鍋の中に次々と追加する。 ある程度火を入れて、仕上げは和真が帰ってきてからにしよっと。 ガスの火を止めてからあったかいコーヒーを入れて、和真が帰ってくるまでは一人の時間。 そう言えば、先日買ったアンドレ・ブラジリエの画集でも眺めようかな。 ブラジリエはフランスのリトグラフ作家で、馬の群れを好んで題材に選ぶ。 あたしは、バレーデュバロワと言う、暮れかけなのか朝焼けなのか、ピンク色に染まった空と草原と馬たちの作品が好きだったりする。 彼の作品の中でも、こんな風に人間が描かれないの方が好き。 画集って重いから、カウチに寝そべって頬杖をつきながらページを進める。 そしていつの間にか、お約束のように転寝の甘い誘惑に負けてしまっていた。 気付くと、和真がいつも使っている掛け布団がかけられていた。 窓の外はすっかり夕景。 和真くん。帰って来たのかな。 キッチンに気配がしたので覗いてみる。 和真は椅子の反対側から腰掛けて、背もたれの上に両腕を組んでいた。 そこにあごを乗せて、いつも作業台に使っている場所に参考書を乗せて眺めていた。 思いのほか、真剣な顔つき。 こうやって少し遠くから和真を見ると、彼がこの部屋に来たばかりの幼い面影から、随分と大人びた雰囲気に変わったものだと改めて感じられる。 あの幼かった和真が、今ではあたしのかけがえの無いパートナーなのだ。 その不思議に心を奪われているとき。 「由梨絵さん。起きたの?」 和真があたしに気付いて満面の笑みを向けた。 その中に幼い和真の面影が窺えて、あたしはどこかほっとしながら「うん。お布団ありがと」と礼を言う。 「転寝するなら何かかけて寝ないと、風邪ひいちゃうよ」 「はーい」 あたしよりもしっかり者の和真に叱られちゃった。 「お勉強?」 調理台を机代わりにする和真に歩み寄って聞くと「うん。今日の試験の内容、忘れないうちに確認しておこうと思って」などと言いつつ伸びをする。 「あたしがカウチを占領してたからよね」 「かわいい顔して寝てたから、起こせなかっただけだよ」 かわいい顔って。いい大人をつかまえてよく言うわよね。 呆れているのに気付かない雰囲気で、和真はシチューの火を消して立ち上がると「さっき由梨絵さんが見てた画集、見せて?」などと聞いてきた。 「いいわよ」 「一緒に見よう?」 そう言って和真は、勉強道具一式を持ってスタスタとリビングに入って行く。 そしてテーブルの上に参考書を乗せると、代わりに画集を手に取った。 「え? どこで見るの?」 寝室に入って行く和真に声をかけると「画集って重いじゃない。ベッドで寝転がって見ようよ」などと当然のような返答。 まぁ、いいけどね。あたしもそう思ってカウチで寝ちゃったんだし。 さっさと寝室に入って行く和真を追いかけると。 「え? 和真くん?」 これまたさっさと服を脱いでいる和真に慌てて問いかける。 どうして服なんて脱いでるのよ? 「ベッドに入るのに、服なんて着てたらくつろげないじゃない。 由梨絵さんも早く脱いで」 「あ、あたしは部屋着だから、このままでも十分くつろげるわよ」 「由梨絵さん」 むっとした雰囲気の和真が、抗議するようにあたしを呼んだ。 あたしはちょっとビクビクしながら「なによ」と答える。 和真の絵のモデルをする時に、いろんなポーズを命じられるので、あたしは和真の命令に比較的素直に応じてしまうように慣らされてしまったのだ。 「由梨絵さんは知らないかもしれないけど、今日ってものすごく寒いんだよ?」 「知ってるわよ。洗濯物干したんだから」 「じゃあ、その寒い所から帰って来た僕をあっためてくれたっていいでしょ?」 「あっためるって言ったって…」 「哺乳動物は体温が高いから、寒い時はかたまって眠るんだって。 服よりも肌の方が温度高いよ?」 言いながら、和真は全裸になってベッドの中に潜り込む。 そうやって断言されるのに弱いって。最近の和真はすっかり計算高くなっていた。 あたしも渋々服を脱いで、和真の隣に横なる。 |